教育を巣食う非常識・岡山市立御南中学校累計 本日

主張書面

平成20年(ノ)第241号
損害賠償等請求調停事件 
申立人    他2名     
相手方  岡山市御南中学校平成20年度校長

主張書面
平成21年2月16日
岡山簡易裁判所 御中

                申立代理人弁護士

 

 相手方答弁書に対する申立人らの意見は以下の通りである。

(1)について

 <質問>

拒否理由1 プライバシー保護

 @「プライバシー保護」とは何を意味しているのか。保護されるべきとする内容、利益、法的根拠を明らかにするよう求める。

 A「保護」されるべき当事者は「当該生徒」と理解して良いのか。
そうであるなら当該生徒が承諾すれば通知するという趣旨と理解して良いのか。

 B被害者である申立人は通知を求めている。現在通知を拒否しているのは「加害生徒」の通知拒否の意思確認をした上でのことなのか。

拒否理由2 守秘義務

 C公務員の守秘義務の内容、法的根拠を明らかにするよう求める。

 D保護されるべきプライバシーを享受している権利者が承認すれば守秘義務は解かれると思われるがそれでも義務があると考えるのか。そうであるならその法的根拠を明らかにするよう求める。

 <意見>

 「加害生徒や被害生徒の今後の円滑な集団生活を阻害する」と主張するが、申立人らは特定生徒の氏名まで公表することを求めている訳ではない。問題点を抽出し、今後の同様事件の再発を防止するための知恵を絞るために必要且つ役立つ情報に抽象化して通知すればよく、そうすることによってこのような懸念は払拭されるはずである。

 「該当生徒以外の生徒及び保護者に憶測や不信感を抱かせる」と主張するが「憶測」や「不信」は情報不足から生み出されることを全く理解していないか、意図的に目をそらそうとしている主張である。既に事件が起こった周囲の生徒や父兄は限られ且つ曖昧な情報に接しており、それを正さなくては余計に「憶測」や「不信」を増大させることは火を見るよりも明らかである。むしろ正しい情報を適切に提供した後、学校が正しく議論を導いて行きさえすればそのような懸念は全くの杞憂であったことがたちまち明らかになるはずである。否むしろそのような努力をしない、したくないという結論が先にあるからこそそのような情報提供さえしたくないと言っているとしか思えない主張である。

 そもそもプライバシー保護とは私生活の平穏を他人よりむやみに脅かされないという利益を意味しており、もともと特定個人に結びつかない限りその私生活の平穏が脅かされる危険性は少なく、本件のような暴力事案の加害・被害生徒氏名を伏せ、日時や犯行場所等も特定せず、事件の起きた背景や、暴力行為の態様、事件解決の経緯ないし結果、今後同様の事件発生を防ぐための方策等を通知すればよいはずで、一切通知・公表しないなどという結論をプライバシー保護を理由に正当化できるはずがない。

 しかも公的な問題で、そこに生活する多くの者たちにとって利害が関わるような事項については個人の権利といえど一定の制限があるのは自明の理である。国民の知る権利を持ち出すまでもなく、これから被害を受けるかもしれない生徒やその父兄、あるいは将来自分の子どもが加害行為に及ぶかもしれない不特定の父兄にとって、他の生徒間で起きた暴力事件であっても知りたいと願うし、知ることで一般予防の効果も期待できるようになるはずである。

 そのような認識も持とうとせず、プライバシーに対する配慮の具体的方策も検討することなく、単に「プライバシー保護」という題目を唱えることで一切の事実を公にしようとしないのは、むしろ問題の解決から目をそらし、授業崩壊、暴力事件の多発という事実を前にして「守秘義務」を盾に学校として教師としての本来の責任であり義務であったはずの「教育」を自ら放棄するに等しいものである。

 以上の通りプライバシー保護や守秘義務を理由とする相手方らの主張は正当なものとは言えない。

(2)について

 ここの主張においても相手方らは全く問題の本質を見ようとしていないことが明白に顕れている。すなわち話し合いの「必要性」を判断するのは学校・教師一人が権限を有しているとする認識にこそそもそもの根本的な誤りがあるのである。教育とは学校や教師が子どもたちに与えるものなのであろうか。教育とは「教育を受ける権利」を抜きに語ることはできないはずであり、話し合いを求めるのは一人学校・教師からだけで良いと考えるのは傲慢以外の何者でもない。日本国憲法第26条が「教育」に関して敢えてそれを受ける者の立場から「権利」として定め、「子女」に対する普通教育は「国民の義務」としていることにもう一度目を向けるべきであろう。
今その教育を要求する権利を有する生徒が、平穏な学習環境と暴力を受ける危険のない毎日を求めているのである。それにもかかわらず学校・教師がその「必要性」を認めなければ話し合いの場さえ設けないというのであれば教育は学校・教師の恩恵として与えられるに過ぎないものと堕してしまうことになる。このような発想自体「教育」を誤ったものとしかねない危険なものと指摘せざるを得ない。

 また「場合によっては・・・話し合いも行っている」とするが、それでも暴力事件は次々と発生し、現に本件事件のすぐ後に教師自身が暴行を受け、救急車が呼ばれ、警察も出動したにもかかわらず、これまた学校は広く事実を他の生徒・父兄に知らせようとしていない。正に相手方らの主張する学校・教師の「必要性」の判断がいかに不十分で期待できないものであったかを有力に物語るものと言わざるを得ない。

 ここの相手方らの主張にも説得力が無いことを真摯に反省すべきである。

(3)について

 ここでの主張は、見事に議論をはぐらかし、努力することの痛みから逃れるために現実に目をつぶり、極論を自ら提示してこれを非難することで申立人の主張を排斥しようとするものに他ならず、最後はそれ自体誰も非難できないような理想論を唐突に持ち出して、何ら実証することなく読む者をしてあたかもそのような理想を自ら行っているかのような印象付けを試みてそれ以上の議論を一方的に打ち切ろうとしているもの以外の何者でもない。

 そもそも申立人は「マニュアル」を新たに作成して欲しいと求めている訳ではない。もう一度申立書を真摯に読み返して戴きたい。既に発生した暴力事件などを生徒・父兄や学校・教師が真摯に話し合うことによって問題意識を共有し、一緒になって子どもの教育を受ける権利を保障・実現しようとお願いしているのであり、その一つの方法として話し合いをいかに持つか、その話し合いの成果をいかに活かすかを検討し、その方途を探り、形作って行きたいと願っているのである。それを勝手に「マニュアル」の作成を求めているかのように総括した挙げ句、既に作成しているから必要ないとは全く議論のすり替えにも等しいもので、最初から建設的な議論を拒否するに等しい主張である。しかも申立人は「今後教師及び父兄が取るべき対応の参考となる対応指針を作成ないしは改善すること」を求めているのであって、既に「作成しているから必要ない」とは日本語のやりとりとしてさえまともな反論になっていないことに相手方らは気付かないのであろうか。

 加えて指摘すれば、相手方らは御南中学校において実際の暴力事件の多発と阻害された授業の多さにつき問題であるとの自覚さえないのであろうか。「マニュアルは作っており必要ない。重要なのはマニュアルを活用することだ。」と主張するが、申立人らがその「活用」にあたっての話し合いや、その話し合いをいかに持つべきかについての議論が必要ではないのかと尋ね要望していることがどうして理解できないのであろうか。今以上に改善するため生徒や父兄と知恵を併せて考えてゆくことは必要ないと考えているのであろうか。申立人らには全く理解できない主張である。

 その上更に「すべての生徒及び保護者の状況に応じたマニュアルを作成」することなどできないと主張するが、一体いつ、どこで申立人がそのようなものの作成を求めたと言うのであろうか。そのような要求をしている箇所を具体的に明示して戴きたい。全く以て申立人の主張を真摯に聞こうとしているのかさえ疑問に思わざるを得ない主張である。正にこのような思考と対応こそがこれまでの頑な態度の根本原因であったことを改めて思い知らされる。そして「最も重要なことは」と殊更のように教条主義的な理想を持ち出しているが、今この相手方の答弁において「最も重要」なことは申立人が要望している内容がこの教条主義的理想にいかに反しているかを論証し、同時にいかに自己の主張するこれまでの対応がこの理想に叶っているかを論証することのはずではなかろうか。そのような論証を一切欠いたまま一体どうしてこのような論理構成で申立人の要望が理に反したものであることを論証できたと言えるのであろうか。

   全く以てここの主張も、申立人の問いかけに噛み合わない一方的な意見を、一人空にでも向かって叫んでいるとしか思われないものである。

(結論)

 相手方らは、申立人の先に記載した@〜Dの質問に回答戴くと共に、申立人の意見を真摯に再考して戴くよう強く求める。
申立人らは決して個人的な感情で本件の申立をしているのでない。御南中学校、ひいては公立の中学校の生徒が、加害生徒も含め正しく教育を受ける権利を保障してもらえるよう、学校・教師と共に父兄、あるいはPTAと共に、話し合い協力し合って現状を改善したいと願っているのである。もし本当に相手方らが子どもたちの教育を真剣に考え、話し合う姿勢を持つことができるのであれば本主張書面、そして申立人の意見書に対し、誠意を持って回答、議論すべきである。決して教育者が、地方公共団体である岡山市が、義務を放棄して話し合いを打ち切ることのないよう強く念を押しておきたい。

以上

 

 

 

   
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