教育を巣食う非常識・岡山市立御南中学校累計 本日

今回の学校とのトラブル、調停において思ったこと

〜今回の学校とのトラブル〜

 今回の私共のトラブルを弁護士に相談した際、弁護士は「よくここまで一人で頑張った。司法の場で教育論をやろう。この話を外に出していこう」と言ってくれました。今まで学校側の抽象的で教育という言葉を逃げ道に使う対応に個人ではとても対応に苦慮していたため弁護士のこの言葉はとても勇気づけられ助けられました。

〜調停において思ったこと〜

 今回の調停は調停の所に詳しく記していますが平成21年7月22日を持って終了しました。長女の事件が起きてからは1年程度ですが長男のトラブルからは4年かかったことになります。でも平成20年3月に校長室にて書面を提出してからある意味準備は出来ていましたから、期間が長くて困ったとかは思いませんでした。

 この調停をしてみて思ったことは学校という所、教育行政はつくづくいい加減で不誠実な所だと言うことです。
平成21年3月4日の調停で「この保護者は被害者意識が強いのではないか?長男のフォークの件もそうだし、今回の長女の件でもちょっと腕を引っ張ったら壁に頭を打ち付けただけと言うような認識を学校側は持っている」と岡山市政策法務課の主任が言っていた事により次回の調停で岡山市は謝罪することとなりました。これも念書があると言うことを前校長、教育委員会の主任達は隠して政策法務課の主任に報告したとしか考えられない。そもそも前学校長、教育委員会、政策法務課でどの様な話し合いをして意思の疎通を図れていたのだろうか?と疑わざるを得ない回答でした。司法の場で調停にまでなっていてもあまりの誠実さが無いばかりか、事実を認識する能力の低さにこんな人たちが教育者であると同時に学校で安全管理をしている責任者でもあると言うことが信じられないと同時に学校内で起っているいじめや暴力事件においても同様のお粗末な事実を認識する能力の低さが現場にもあり問題解決が出来ず被害生徒、保護者に泣き寝入りをさせることになると痛感しました。
岡山市が回答してきた内容は読みやすく綺麗な文章ではありますが、具体性が無く回答と言っても回答になっていない物でした。ですから4月8日の申立書の冒頭で弁護士が「その内容は用語の用い方に疑義がある上、ある部分では申立人らの主張と噛み合わない抽象的議論に終始し、また他の部分では事実自体の誤解や認識に誤りがある等、到底建設的な話し合いができないものであった」と評しています。

 また調停自体に消極的な姿勢がありありと出ていましたのでこれも申立書の中で弁護士が「相手方らはそれらのきちんとした説明をすることなく調停を不調として打ち切ることを求めてはならない。それは法的義務を逃れようと試みるものであるだけでなく、岡山市民の岡山市に対する信頼を裏切るものであり、教育者及び教育行政に携わる者の誇りと理念を放擲するものに他ならないことを銘記すべきであろう。」とまで書かれ評されています。

 7月22日の調停で岡山市側から提出された文書ある

・「平成21年度 岡山市立御南中学校の取り組みについて

・「平成21年度 学校経営計画


これを見た弁護士は「今回の文章はこちらに対する回答ではなしに学校の中でこうやりますという校内文書で、学校と教育委員会の間でこういう文書を作りました、これは良くできてますねというだけの話だ。それをこちらが貰っても単にその辺のビラまいて配った物を貰ったのと一緒でこちらに対する回答ではない。
暴力事件に対する回答なり、文章の中で活かした物がないのは何故か?
あんな文章ありがたく頂きましたという事はない。まともな回答がなかった」と評していました。
岡山市の教育行政はこの様な物であるとお粗末さが露呈しましたが、行政の末端である学校などの教育現場も責任者達は同様の認識を持って学校教育を行っていると言うこともこの調停を通して分かりました。これらの認識を保護者が持つことを学校現場の教職員はどの様に考えるのでしょうか?学校教育、公教育に対して信頼できないと言う認識を持つ父兄、保護者が増えることは教育行政としてあってはならない事だし怠慢以外の何者でもないと感じました。

 7月に地区懇談会がありましたが、この地区懇談会が何故定期的に開かれるようになったのか?評議員制度?など疑問に思っていたことがありました。これらの疑問に弁護士が申立書の中で「教育行政に関連して」と詳しく説明してくれています。

教育行政に関連して
相手方らにとって見れば釈迦に説法と思われるかもしれないが、敢えて簡単に触れると、1990年代以降国レベルでは中央教育審議会等において学校、家庭、地域の連携の必要性が盛んに議論されるようになった。その流れの中2001年には教育関連6法が改正され、2006年に教育基本法第10条2項に「国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。」と定め、同法13条では「学校、家庭及び、地域住民その他の関係者は教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに相互の連携及び協力に努めるものとする。」と定めるに至ったものである。またその流れの一貫として2000年の4月からは「学校評議員」制度が導入され、地域に開かれた学校づくりを実現するため、学校の運営に関して、@保護者や地域住民等の意向を把握・反映する、A保護者や地域住民の協力を得る、B学校運営の状況を周知するなど学校としての説明責任を果たしていく、ことを求められているのである。
正に相手方は「保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない」法律上の義務があり、相手方である学校も、また申立人らである父兄・家庭も、また地域住民にも「それぞれの役割と責任を自覚する」義務があり、「ともに相互の連携及び協力に努め」なければならない法的義務が認められるのである。そのためのひとつのシステムとして導入されたのが「学校評議員」制度であり、相手方らは保護者の意向を把握・反映する義務があり、学校運営の状況を周知するなど学校としての説明責任を果たすことが法律により求められているのである。このような法的義務がありながらなお「拒否」することが正当と言われるのであればその根拠を明確に示すべき義務と責任があるはずである。

 上記に弁護士が「教育行政に関連して」と記してくれている内容は御南中学校に対してだけの物ではありません。学校内で問題行動が起った場合、必要があれば学校だけでなく保護者や地域と連携して再発防止をしていかなければならないし、それらをするために学校は学校内の情報を積極的に説明しなければならないとあります。長男、長女が受けた暴力や教師に暴力を振るい新聞報道までなった事件、数々の問題行動などの対応において、御南中学校がやってきた教育は法律上の義務すら守られず教職員のコンプライアンスの無さが浮き彫りになりました。一体今の公立学校の教職員はどこに向いて仕事をしているのでしょうか?本当に生徒に向いて、向き合って教育しているのでしょうか?疑問です。

 今回岡山市教育委員会、前御南中学校長を相手取って調停をしていることは相談させて貰った保護者の方々もどの様になっていくのだろうと教育者といわれている先生達が、校長先生がどの様に答えるのだろうと興味を持っていたようです。ある保護者は「この話に乗りながら勉強させて貰います」といっていました。
今回の調停でこちらが調えた資料を基にした申立書や意見書を提出し、岡山市、前中学校長が回答し、新校長になってこの様にやっていきますと書かれていますがこれを読んだ皆さんはどう感じたでしょう。
この調停を通して教育委員会、学校側の話を聞いていて長女を転校させたことは間違いではなかったとつくづく思いました。ある保護者から私学に転校させる事が出来る家庭は良いけど経済的にも負担がかかるから転校させたくても私学に通わせることが出来ない親はどうすればいいのかと言っていた人もいました。
進学校で本来もっと違う勉強がしてみたいからと言うことで私学を選ぶのであればそれが普通のことですが、長男、長女の場合のように一方的な暴力行為が頻繁にあり精神的苦痛を受ける実害があったし、学校が荒れているからとか、何かあったときに学校側の対応がおかしいとか、話にならないとかで地域の学校に通わせることが出来ないという事はあってはならないことです。

学校は校長次第だとよく言われますが校長は教育委員会から大まかな方針を受けるだけで各学校で物事を決めることが出来る柔軟な権限を持っています。ですから校長の質にかなり左右されますから、教育制度が良くてもそれを活用する能力にバラツキがありますから校長が替わりその校長に能力がなければおとなしかった学校も荒れてしまうこととなります。
学校が荒れると必然的に勉強できる環境が失われ授業にならないことが多々あり勉強の遅れに繋がります。この調停をするにあたり情報を集めた際、御南中学校の保護者で「勉強は塾でやって、学校には出席日数を稼ぎに行っている様なものだから、とにかくトラブルに巻き込まれないように終わってくれればいい」と言った人がいました。租税教育の所でも記しましたが多額の税金が使われており、岡山のほとんどの私学より公立中学校の方が教育費がかかっています。せっかく難関である公務員試験を受けて教師になった人たちですから優秀な人たちなのでしょうからもう少し子どもの事を理解し教育に対する認識をしっかりと持って子どもが学校に通いやすい環境作りをしていただきたいものです。

教育に対して自身の仕事に対してどの様な認識を持っているかを御南中学校の教職員に問うています。
「貴方は何のプロですか?」
長女の担任だった女性教諭は30秒ほど考えた末、「ボランティア」と答えた。
1年生の学年主任である男性教諭は「子供の幸せを考えようという思いを抱き、それを実践するプロになりたいな」と答えた。
校長、教頭は、教頭が「教員ですか・・。そりゃもうねぇ。何のプロ・・・」と言った所で校長が「教員はプロじゃないんですよ。全部が平均なんですよ」と言い、今度は教頭が「もちろん教育のプロと言いたいです、でも何かのプロにならないといけんと思うて頑張っています。でも本当にプロと言えるのかなとも思ってます。自分としても。その場に当たった時に全力を尽くして頑張る。それも何かと言ったら子供に対してはいいようにしてやらないといけない。子供のためには頑張って支援できるものは支援してやらないといけない。それはもうはっきり言って塾の教員とは違うと、わたしらは学校の教員だと。それはもう生徒に対しての思いは強く持っている。」

調停の中でしっかりと長男、長女にどの様な事があったか出ていますが、これらに関わった教職員がどの様な認識を持って仕事をしているのか聞き、これらの回答を得たとき保護者としては情けないやら腹立たしいやらで大変複雑な思いであり、ズサンな対応しかできなくて当然と思え落胆しました。一時でも学校の教師に任せていればと思った自身が馬鹿だと思いました。

 次に「学校内でのトラブル対応」を書き記しました。学校でトラブルに巻き込まれた人たちが学校が上手く対応してくれれば良いのですが、泣き寝入りさせられる事の無いように参考としてください。また、事例が違えば役に立たないこともあると思いますし、応用が必要な場合もあると思います。

 

 

 

 

 

 

 

   
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